大伴大江丸(読み)オオトモノオオエマル

デジタル大辞泉 「大伴大江丸」の意味・読み・例文・類語

おおとも‐の‐おおえまる〔おほとも‐おほえまる〕【大伴大江丸】

大江丸おおえまる

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精選版 日本国語大辞典 「大伴大江丸」の意味・読み・例文・類語

おおとも‐おおえまる【大伴大江丸】

  1. 江戸後期俳人本名安井政胤。大坂家業飛脚問屋を営み、かたわら俳諧精進天明一七八一‐八九)以後の俳壇に独特の地位を占めた。著に「俳懺悔」「俳諧袋」など。享保七~文化二年(一七二二‐一八〇五

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朝日日本歴史人物事典 「大伴大江丸」の解説

大伴大江丸

没年:文化2.3.18(1805.4.17)
生年:享保7(1722)
江戸中期の俳人。安井氏。名は政胤。幼名は利助,隠居後は宗二。通称は大和屋善右衛門。江戸店での屋号は嶋屋佐右衛門。初号は芥室,のち旧州(国),大江隣と改め,晩年は大伴大江丸を号する。大坂高麗橋1丁目に生まれ,北革屋町に住し,飛脚問屋を営む。寛延3(1750)年家督を継ぎ,三都随一といわれるまでに家勢を盛りたてた。笠家旧室門のち前田良能・大島蓼太門。与謝蕪村,高井几董,加藤暁台,白井鳥酔らとも交わり,蕉風復興運動に寄与した。寛政2(1790)年,古稀を迎えて賀集『俳懺悔』を刊行した。このころから四季折々に摺物を催し各地の詞友に配り,独自の軽妙,洒脱な作風を強く打ち出していく。同12年に,前後5カ月にわたる東奥旅行を敢行し,江戸では大島完来,建部巣兆,夏目成美,鈴木道彦,白猿(5代目市川団十郎)らと風交を共にしている。蕉風転向後の彼は持論通り,一門一党に偏らず,多彩な作風を展開し,小林一茶にも影響を与えた。<参考文献>大谷篤蔵「大伴大江丸」(明治書院『俳句講座』3巻)

(加藤定彦)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大伴大江丸」の解説

大伴大江丸 おおとも-おおえまる

1722-1805 江戸時代中期-後期の俳人。
享保(きょうほう)7年10月5日生まれ。大坂で飛脚問屋をいとなみ,俳諧(はいかい)を笠家旧室,大島蓼太(りょうた)らにまなぶ。70歳で俳諧に専念。与謝蕪村,高井几董(きとう)らとも親交をむすんだ。文化2年3月18日死去。84歳。大坂出身。姓は安井。名は政胤。通称は大和屋善右衛門。別号に旧国(ふるくに),芥室,大江隣。句集に「俳懺悔(ざんげ)」「はいかい袋」,紀行に「秋存分」など。
【格言など】さくさくと藁(わら)喰ふ馬や夜の雪(「俳懺悔」)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大伴大江丸」の意味・わかりやすい解説

大伴大江丸
おおともおおえまる

[生]享保7(1722).大坂
[没]文化2(1805).3.18. 大坂
江戸時代中期~後期の俳人。本名,安井政胤。通称,大和屋善兵衛。別号,芥室,旧国,旧州,大江隣,廻心斎。大坂の三度飛脚の問屋を業とし,余技として俳諧,狂歌をたしなんだ。俳諧は大島蓼太門で諸名家と交わり,天明,寛政の俳壇に重きをなした。編著『秋存分』 (1797) ,『俳諧袋』 (1802) など。

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