ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「レオ2世」の意味・わかりやすい解説
レオ2世
レオにせい
Leo II
[没]683.7.3. ローマ
シチリア(→シチリア島)出身の第80代教皇(在位 682~683)。聖人。教皇アガト(在位 678~681)の死後,まもなく教皇に選出されたが,ビザンチン皇帝コンスタンチヌス4世(在位 668~685)による承認が遅れ,682年8月に登位した。"Liber Pontificalis"によると,雄弁で聖書に精通し,ギリシア語とラテン語に堪能で,詠唱と聖歌(賛美歌)に優れていたという。680~681年に開催された第3回コンスタンチノープル公会議の布告の条文を,ローマ教会に向けギリシア語からラテン語へ翻訳した。キリスト単意説と,単意説を非難しなかった教皇ホノリウス1世(在位 625~638)の融和的態度を糾弾する公会議の決議を承認した。また教会音楽の発展に尽くした。666年からラベンナの司教座が教皇領から外されていたが,在位中,コンスタンチヌス4世の命令により教皇領に復した。祝日は 7月3日。
レオ2世
レオにせい
Leo II
[没]474
ビザンチン皇帝 (在位 474) 。レオ1世の娘アリアドネとイサウリアの族長タラシコディッサ (ラテン名ゼノ ) の間に生れた。祖父の死後,7歳で即位したが,474年末没したため,副帝であった父ゼノが帝位についた。
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