大切山(読み)おおぎりやま

日本歴史地名大系 「大切山」の解説

大切山
おおぎりやま

滝ノ下にあり、長登鉱山の中で最も知られた銅山。開発の時期について「美東町史」は、元文四年(一七三九)の美祢郡銅山付立により慶長初年とする。「萩藩譜録」によれば、黒磯淡路守就正が当銅山の取立てに尽力し、守護神として山神やまがみ社を建立したという。

「注進案」には「就中寛永年中別して大盛也」とあり、寛永年中(一六二四―四四)には大盛山(大生産地)であった。その後突然の湧水で水没したが、同書に「寛文年中大旱ゆへ、水抜の手段して余分鏈り堀取、其節の銅を以山神社の釣鐘を鋳る」とあって、再び大盛の時期を迎えた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む