大別当城跡(読み)だいべつとうじようあと

日本歴史地名大系 「大別当城跡」の解説

大別当城跡
だいべつとうじようあと

[現在地名]奈義町高円

高円こうえん集落の北、大別当山にある中世山城。西麓はよど川が流れ、当城跡西方七〇〇メートルに奈木なぎ(那岐)城跡、北方五〇〇メートルに能仙のうせん城跡がある。また北東林道を抜けると菩提ぼだい寺に至る。遺構は標高五八四メートル地点にあり、東西二五メートル・南北二六〇メートルにみられ、堀切・土塁は幅一〇メートルほどの尾根を利用し、多くの小郭を設けている。本丸と推定される二段築の郭は東西一二メートル・南北二六メートル。康安元年(一三六一)七月一二日南朝方の山名時氏が美作国に軍を進めた際、菅家一族の「大見丈たいけんぢやうノ城」、有元民部大夫入道の「菩提寺ノ城」、広戸掃部助の「名木なぎ杣二箇処城」などは「一矢ヲモ不射」に降参したという(「太平記」巻三六)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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