大国村(読み)おおぐにむら

日本歴史地名大系 「大国村」の解説

大国村
おおぐにむら

[現在地名]加古川市西神吉町大国にしかんきちようおおぐに

中西なかにし村の南西に位置する。古代の印南郡大国おおくに(和名抄)の遺称地で、中世には一帯大国おおぐに庄が成立。嘉元四年(一三〇六)六月一二日の昭慶門院領目録案(竹内文平氏旧蔵文書)安楽寿あんらくじゆ(現京都市伏見区)領として播磨国「大国庄内神吉村京極准后」の記載がある。大国庄は久寿二年(一一五五)藤原忠実により造営された不動堂の護摩料として一千石と供僧三人(人別二三〇余石)を負担している(年未詳「安楽寿院不動堂護摩料所注文」安楽寿院文書)。文禄四年(一五九五)八月一七日の豊臣秀吉知行方目録(木下家文書)によると木下家定は大国村内高二三石余などを与えられている。


大国村
おおぐにむら

[現在地名]仁摩町大国町、大田市大屋町大国おおやちようおおぐに

天河内あまごうち村の南東うしお川中・上流域および、同川支流柑子谷こうじだに川・かむり川・狭平せばひら川などの流域に位置する。古代の邇摩郡大国郷(和名抄)の遺称地で、中世には一帯に大国保(庄)が成立していた。近世には銀山御囲村に指定されていた。正保郷帳に村名がみえ、大森おおもり(現大田市)から当村を通り、仁万にま村へ至る道が描かれている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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