日本歴史地名大系 「大国庄」の解説
大国庄
おおくにのしよう
- 滋賀県:愛知郡
- 大国庄
「和名抄」大国郷の系譜をひき、庄とも郷とも記され、現
大国庄
おおくにのしよう
歩 川成常荒地八十三町余 熟田廿七町余 為他妨領田地七十四町五段百
歩 川成荒地卅五町 熟田卅九町五段百
歩 公田妨領十五町 土浪人私治田隠作廿四町五段百
歩」とあり、常荒地として八三町、川成荒地として三五町が記されている。同年一〇月二五日付伊勢太神宮司解案に引く天長九年(八三二)二月一六日付官符および斉衡三年(八五六)四月二三日付官符によれば「飯野郡浪人」による川合庄・大国庄の開発が目論まれている。東寺は承和二年、大国庄内に散在する公田二一町二反一四〇歩と東寺領川合庄田の相博を企てた。相博直後から国司・神民等の押領が続発し、一〇世紀前半、東寺側が旧川合庄田を奪取し、事実上相博を解消した(承平二年八月五日付「太政官符案」)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報