大坂の役(読み)おおさかのえき

旺文社日本史事典 三訂版 「大坂の役」の解説

大坂の役
おおさかのえき

1614年の冬および '15年の夏,徳川氏が豊臣氏を滅ぼした戦い
関ケ原の戦い(1600)後も,豊臣秀頼大坂城におり,莫大な軍用金をもち,徳川氏に仕えた諸大名中にも心を寄せる者があり,徳川の天下にとって恐るべき存在であった。徳川家康は後顧の憂いを絶つため,これを滅ぼす策を考え,方広 (ほうこう) 寺の鐘銘事件を機として戦端を開いた。1614年10月,淀君 (よどぎみ) をはじめとする大坂方は浪人を集め籠城したが,外濠 (そとぼり) を埋めることを条件に和睦した〈冬の陣〉。しかし内濠まで埋められたので,翌'15年4月再び挙兵,徳川方の猛攻により落城し,淀君・秀頼母子は自殺した〈夏の陣〉。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む