豊臣秀吉の側室,秀頼の母。父は近江浅井郡小谷(おたに)城(現滋賀県長浜市,旧湖北町)の城主浅井長政,母は織田信長の妹お市の方(小谷方)。幼名はお茶々。1573年(天正1)信長に包囲された小谷城から母に伴われて妹2人とともに脱出し,信長の尾張清須城に入る。82年柴田勝家に再嫁した母に従い,越前北ノ庄(福井)城に入る。83年秀吉に攻められて北ノ庄は落城,勝家に殉じた母と別れ,妹2人とともに秀吉に庇護される。やがて秀吉の寵を受け89年山城淀城に移り,〈淀の女房〉と呼ばれ,この年,秀吉の子鶴松を生む(1591病死)。93年(文禄2)大坂城二の丸で拾(ひろい)(秀頼)を生む。翌年伏見城西の丸に移る。秀吉の死の翌年の99年(慶長4)秀頼とともに大坂城西の丸に入り,以後は〈お袋さま〉と呼ばれる。1615年(元和1)5月8日大坂落城により秀頼とともに自刃。秀頼生母として大坂城中で権勢を振るったことは事実であるが,淀君の乱行というのは江戸時代の創作(生前に〈淀君〉と呼ばれたことはない)である。
執筆者:高木 昭作
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