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淀君 よどぎみ

美術人名辞典の解説

淀君

安土・桃山時代の武将・関白太政大臣豊臣秀吉側室近江国生。浅井長政の長女、母は織田信長の妹小谷方。名は茶々・野々。父長政歿後、母小谷方は柴田勝家と再婚。賤ヶ岳の戦で勝家が敗れ、秀吉に引きとられ側室となる。文禄2年秀頼を生み権勢をにぎるが、大坂の陣で敗れ秀頼とともに自刃。元和元年(1615)歿、48才。

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デジタル大辞泉の解説

よど‐ぎみ【淀君】

[1567~1615]豊臣秀吉の側室。名は茶々。父は浅井長政。母は織田信長の妹小谷の方。浅井氏滅亡後、柴田勝家に嫁いだ母とともに越前に移り、柴田氏滅亡後は秀吉の保護を受け、愛妾となった。山城城に住み、長男鶴松・次男秀頼を産んで権勢を誇ったが、大坂夏の陣で自刃。淀殿

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百科事典マイペディアの解説

淀君【よどぎみ】

淀殿とも。豊臣秀吉の側室。通称茶々。父は浅井長政,母は織田信長の妹お市の方。浅井氏滅亡後,母が再嫁した柴田勝家に養われ,柴田氏滅亡後,秀吉の側室となり,秀頼を産み秀吉に寵愛された。
→関連項目片桐且元豊臣氏

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世界大百科事典 第2版の解説

よどぎみ【淀君】

1567‐1615(永禄10‐元和1)
豊臣秀吉の側室,秀頼の母。父は近江浅井郡小谷(おたに)城(現,滋賀県東浅井郡湖北町)の城主浅井長政,母は織田信長の妹お市の方(小谷方)。幼名はお茶々。1573年(天正1)信長に包囲された小谷城から母に伴われて妹2人とともに脱出し,信長の尾張清須城に入る。82年柴田勝家に再嫁した母に従い,越前北ノ庄(福井)城に入る。83年秀吉に攻められて北ノ庄は落城,勝家に殉じた母と別れ,妹2人とともに秀吉に庇護される。

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大辞林 第三版の解説

よどぎみ【淀君】

1567~1615) 豊臣秀吉の側室。名は茶茶。淀殿とも。浅井長政の長女。母は織田信長の妹お市の方。母の再嫁先柴田勝家滅亡後、秀吉の側室となった。鶴松・秀頼の二子を産み権勢を誇ったが、大坂夏の陣で自刃。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

淀君
よどぎみ

[生]永禄10(1567)頃.近江,小谷
[没]元和1(1615).5.8. 大坂
豊臣秀吉の側室。名はちゃちゃ,のちに淀殿,西の丸殿,二の丸殿と呼ばれた。近江の武将浅井長政の長女。母は織田信長の妹お市 (→小谷の方 ) 。天正1 (1573) 年浅井郡小谷城が織田信長に攻められ落城するや母,妹2人とともに脱出,尾張清洲城に帰った。同 10年母お市の方が柴田勝家に再嫁するとこれに従って越前北庄城に入ったが,北庄は翌年羽柴秀吉に攻められ落城し,柴田勝家は滅び,母もこれに殉じた。妹2人とともに再び脱出して秀吉の保護を受け,同 17年頃に秀吉の側室となり,山城の淀城に移り,淀の女房と呼ばれた。文禄1 (92) 年頃大坂城二の丸に移り,二の丸殿と呼ばれた。同2年男児お拾 (ひろい,のちの秀頼) を産み,まもなく伏見城西の丸に移り,西の丸殿と呼ばれた。慶長8 (1603) 年徳川秀忠と小督の間に生れた千姫が秀頼に嫁し,同 10年秀忠が征夷大将軍に,秀頼が右大臣となった。同 19年京都方広寺大仏殿の造営に伴う鐘銘事件が起り,さらに大坂冬の陣が起った。元和1 (15) 年1度東西和議が成立したが,続いて夏の陣が起り,ついに大坂落城となって淀君,秀頼は自刃し,豊臣氏は滅亡した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

淀君
よどぎみ

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