大場久八(読み)だいばのきゅうはち

朝日日本歴史人物事典 「大場久八」の解説

大場久八

没年:明治25.12.3(1892)
生年:文化11(1814)
幕末維新期の伊豆侠客本名森久治郎。東海一の親分として勢力は駿豆相武の国におよび,現役中は清水次郎長も頭が上がらなかったといわれる。嘉永6(1853)年黒船来航に際して江川太郎左衛門が品川沖にお台場を造営したとき,数千人の人夫を指揮して功績があった。江川は江戸の屋敷に久八を招き,労に報いるため韮山代官支配地の御用を命じようとしたが,「骨が舎利になっても二足の草鞋ははかぬ。渡世人堅気の下につく者だ」と断ったという。維新後は博徒の足を洗って帰農し,下田街道改修や村の小学校建設に貢献した。

(正延哲士)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大場久八」の解説

大場久八 だいばの-きゅうはち

1814-1892 江戸時代後期の侠客(きょうかく)。
文化11年生まれ。天保(てんぽう)のころ,子分2600人,有名貸元49人を擁する東海一の親分といわれた。嘉永(かえい)6年江川太郎左衛門の品川沖台場の築造さい,数千人をあつめて作業協力,台場の親分ともよばれた。明治25年12月3日死去。79歳。伊豆(いず)田方郡(静岡県)出身。本名は森久治郎。

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