国指定史跡ガイド 「大宰府学校院跡」の解説
だざいふがっこういんあと【大宰府学校院跡】
福岡県太宰府市観世音寺にある学校跡。大宰府学校院は、大宰府政庁と観世音寺に挟まれた場所に位置していたと推定される官人養成機関。奈良時代から平安時代に九州諸国の学生を集めて教授した学校であり、古代の学制上特異な役割を果たした遺跡であることから、1970年(昭和45)に国の史跡に指定された。学校院では、博士を教官として、中国の「五経」「三史」などの書物を教科書に、政治・医術・算術・文章など、役人として必要なことを教えた。古代の教育システムでは、通常は国(ほぼ現在の県)ごとに国博士が置かれるが、筑前・筑後・豊前・豊後・肥前・肥後の6国には博士は置かれず、学生は大宰府で修学した。学生は所定年内に必要な科目を修得した後に、試験に合格すれば役人として採用される。発掘調査によって、掘立柱建物や溝、築地状遺構などが確認されている。781年(天応1)には約200人の学生が大宰府に集まったとの記録があり、大宰府が学問の中心地としても機能していたことを知ることができる。西日本鉄道天神大牟田線都府楼前駅から徒歩約15分。