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大屋裏住 おおやの うらずみ

美術人名辞典の解説

大屋裏住

狂歌師。姓は久須美、通称白子屋孫左衛門、号は大奈権厚記・窓雪院等。天明狂歌壇の先駆者で本町側を主宰し、門人手柄岡持立川焉馬等がいる。また鷺流の狂言を能くし、野呂松人形の名手でもあった。文化7年(1810)歿、77才。

出典 (株)思文閣美術人名辞典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

大屋裏住 おおやの-うらずみ

1734-1810 江戸時代中期-後期の狂歌師。
享保(きょうほう)19年生まれ。江戸で更紗(さらさ)屋をへて貸家を業とする。天明のころから本町連を主宰,四方赤良(よもの-あから)(大田南畝)らとともに狂歌界を指導した。野呂松(のろま)人形の名手としても知られた。文化7年5月11日死去。77歳。江戸出身。姓は久須美。通称は白子屋孫左衛門。別号大奈権厚紀(だいなごん-あつき),萩の屋,窓雪院。編著に「狂歌秋の野良」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

大屋裏住

没年:文化7.5.11(1810.6.12)
生年:享保19(1734)
江戸時代の狂歌作者。姓は久須美氏,通称は白子屋孫左衛門,別号を窓雪院。初めは更紗屋であったが,明和年間(1764~72)より江戸日本橋金吹町に住んで貸家業を営んだ。狂名はその家業による。寛延年間(1748~51)より卜柳の門に入り,初めの名を大奈権厚紀といった。その後二十余年間,狂歌を離れていたが,明和年中,再び活動を始め,四方赤良(大田南畝)に従って大屋裏住と号した。天明(1781~89)ごろから手柄岡持(朋誠堂喜三二),酒上不埒(恋川春町)らの属した本町連を主宰した。寛政9(1797)年剃髪して,萩の屋の号を用いた。江戸狂歌壇の長老のひとりであり,おかしみのある歌を得意とした。また野呂松人形の使い手としても知られている。

(園田豊)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

おおやのうらずみ【大屋裏住】

1734‐1810(享保19‐文化7)
江戸中期の狂歌師。姓は久須美,通称は白子屋孫左衛門,別号は萩の屋,初号は大奈権厚紀(だいなごんあつき)。江戸の人。家業は初め更紗屋,のち大家。寛延年間(1748‐51)から狂歌を作り,一時中断したが明和年間(1764‐72)に元木網(もとのもくあみ)らと再開した。本町連の元老で天明狂歌の先駆的存在。編著は《狂歌秋の野良》。〈折りとるは憎さも憎し心根のかはゆくもある花の盗人〉(《狂歌觽(けい)》)。【森川 昭】

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

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