大山為起(読み)おおやまためおき

精選版 日本国語大辞典 「大山為起」の意味・読み・例文・類語

おおやま‐ためおき【大山為起】

  1. 江戸前期の垂加流神道家。山城稲荷神社の神官。号は葦水。その神道を稲荷山神道という。著「味酒講記」「唯一論」など。慶安四~正徳三年(一六五一‐一七一三

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大山為起」の解説

大山為起 おおやま-ためおき

1651-1713 江戸時代前期-中期の神道家。
慶安4年生まれ。山崎闇斎(あんさい)に師事貞享(じょうきょう)4年伊予(いよ)松山藩主松平定直にまねかれて味酒(みさけ)神社の神職になる。「日本書紀」を講じ,注釈書「味酒講記(うまさけこうき)」をあらわした。のち京都で葦水(いすい)軒を開塾。正徳(しょうとく)3年3月17日死去。63歳。山城(京都府)出身。本姓は松本通称左兵衛など。号は葦水,葦水斎。著作はほかに「稲荷社記録」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大山為起」の意味・わかりやすい解説

大山為起
おおやまためおき

[生]慶安4(1651).山城
[没]正徳3(1713).3.17. 京都
江戸時代中期の垂加流の神道家。通称左兵衛,葦水と号する。貞享4 (1687) 年伊予松山藩に招かれ味酒神社の神職となり,かたわら神道を講じ『日本書紀』の講義『味酒講記』 (1710) を完成させた。晩年は京都に帰り,五条音羽橋に庵を結び,神道の講義をした。その他の著作『唯一論』『古語拾遺 (注) 』『延喜神名式比保古』『本朝桃葦伝』『職原抄玉綴』『天孫本紀かがみ草』。

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