大島新田(読み)おおじましんでん

日本歴史地名大系 「大島新田」の解説

大島新田
おおじましんでん

[現在地名]三条市大島

分流した信濃川となかくち川に挟まれ、両川の間が最も狭まる位置に開けた村で、東に代官島だいかんじま新田・荻島おぎじま興野、南に下須頃しもすごろ村と接する。古地図を総合すると、大島・荻島・代官島といった村々は、古い信濃川や五十嵐いからし川に周囲を囲まれて島状になっており、大島新田はその島頭となっていた。元禄一二年(一六九九)の鵜森組新村付帳(渡辺巌氏蔵)によると、鵜森うのもり(現加茂市)を親村として元和四年(一六一八)に開発立村。


大島新田
おおしましんでん

[現在地名]杉戸町本島もとじま幸手さつて戸島としま

倉松くらまつ村の北、杉戸宿の東に位置し、地名は開発者大島清兵衛に由来する。天保郷帳に村名がみえ、高三〇一石余。当初は幕府領であったが、天明三年(一七八三)相模小田原藩領となり(同四年「大島新田村指出明細帳控写」本島区有文書)幕末には改めて幕府領となっている(改革組合取調書)。当地はかつては安戸やすど(倉松沼とも)という沼沢地であったが、享保八年(一七二三)江戸柳橋やなぎばしの商人大島清兵衛によって開発された町人請負新田である。沼の周辺に付廻堀を築いて周辺からの悪水の流入を防ぎ、新田は掘上田の方法で造成した。


大島新田
おおじましんでん

[現在地名]焼津市大島・大島新田

大島村の南に位置し、志太しだ郡に属する。当村は小田原北条氏のもと家臣小川陣十郎や村松氏らによって開発されたと伝え、元和九年(一六二三)検地が行われたという(大富村史)元禄郷帳に村名がみえ、高三五九石余。国立史料館本元禄郷帳では田中藩領で、以後幕末まで同藩領。旧高旧領取調帳では高三二五石余、うち稲荷社除地一石・洞福とうふく寺除地二斗余・上小田かみおだ東春とうしゆん院除地八斗余・同村光源こうげん寺除地三斗余。


大島新田
おおじましんでん

[現在地名]新潟市大島

鳥屋野とやの村の南、信濃川右岸の堤防沿いに位置する。元禄一二年(一六九九)の村年号間数方角之帳(新発田市立図書館蔵)に明暦元年(一六五五)の開発とある。寛文七年(一六六七)と思われる御領内見分之書付(貴船家文書)によると一八軒・八五人。天明二年(一七八二)の組立帳(新田彬氏蔵)に役石三四石三斗余、万雑二貫五八〇文ほどとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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