大崎・西(読み)おおさき・かさい

日本歴史地名大系 「大崎・西」の解説

大崎・西
おおさき・かさい

大崎・葛西とも中世において、陸奥国の宮城県北部または岩手県南部にかけて勢力をもった大名であるが、戦国期より近世期にかけてその支配領域を通称名として大崎、葛西とよんだ。ただし呼称範域とも変遷があり、文献にみえる名も固定せず、人名地名か見分けがたいことも多い。

〔大崎〕

加美かみ志田遠田とおだ玉造たまつくり栗原の五郡の総称名で、戦国大名大崎氏の支配地域。南北朝期、奥州管領として川内かわうちに下向した足利一門斯波家兼の高祖父家氏が、「下総国大崎」を領して大崎氏を名乗ったことから、のち川内五郡を大崎と称するようになったという(「伊達正統世次考」天文五年六月二一日条編者注)。これから大崎を川内ともよんだことが知られるが、別に河内とも書き、文治五年(一一八九)の奥州合戦後、泉田・渋谷・上形・狩野の四氏に与えられた。四氏を河内四頭といい、その地を河内五郡二保としているが、前掲五郡ほかの二保は小田おだ(現遠田郡北部)長世ながせ(現志田郡南部)とされる(同書天文五年六月条など)。河内については永正一一年(一五一四)成立とされる「余目記録」に「河内七郡ニハ、渋谷、大掾、泉田、四方田とて、文治五年ニ当国ニ下、外様ニ四頭一揆にて候しか、千騎衆たり、留守殿ニ五人一きヲいたし」とある。この七郡は二保を加えたものかどうか未詳だが、大崎・川内の一帯はさま川・江合えあい川・鳴瀬なるせ川の流れる地域で、川の内の意と思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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