日本の城がわかる事典 「大庭城」の解説 おおばじょう【大庭城】 神奈川県藤沢市にあった城。平安時代末期の藤沢には鎌倉景政によって開拓された伊勢神宮の荘園(大庭御厨)があった。その後、鎌倉氏の子孫は大庭氏を名乗るようになり、代々一帯を治めた。1180年(治承4)に挙兵した源頼朝は同年の石橋山の戦いに敗れて安房に渡るが、このとき、敵の平氏側の武将だったのが大庭景親である。大庭城は景親の父景宗が築城したといわれている。その後頼朝が優勢になるなかで、一族のほとんどは筑前(福岡県)に逃れたが、景親は最後まで抵抗し捕らえられ斬首された。室町時代に入り、大庭城は扇谷上杉氏重臣の太田道灌により改築されたが、道灌の死後、相模に進出した北条早雲に攻められ落城した。早雲は同城攻略後、大規模な改修に着手したが、玉縄城(鎌倉市)が築かれると、その役割は玉縄城に移った。1590年(天正18)の小田原の役での後北条氏の滅亡にともない、廃城になったと考えられている。現在、城跡は大庭城址公園となっており、同公園内には大規模な空堀や土塁などが残っている。JR東海道本線・小田急電鉄江ノ島線・江ノ島電鉄藤沢駅、またはJR東海道本線辻堂駅、小田急電鉄・相模鉄道・横浜市営地下鉄湘南台駅からバスで大庭小学校前下車、徒歩約5分。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報