中須村(読み)なかずむら

日本歴史地名大系 「中須村」の解説

中須村
なかずむら

[現在地名]徳山市大字中須南なかずみなみ・大字中須北なかずきた

現徳山市の東端に位置し、蛇行するにしき(現在菅野湖となる)の東から南一帯を占める山間の大村。北は須万すま、西は須々万すすま、南は温見ぬくみ(現下松市)、東は八代やしろ(現熊毛郡熊毛町)三瀬川さんぜがわ(現玖珂郡周東町)の各村に囲まれる。萩藩領で前山代宰判所属。

「防長地名淵鑑」に「応安六年四月の文書に中須村、永正三年の文書に遠石庄中須郷と見ゆ」とある。

慶長五年(一六〇〇)検地帳では中須郷として石高一千三八二石余、同一五年の検地帳では高二千五七七石余、うち田方が一七〇町余で二千一六〇石余、畠方が九六町余で二八六石余、百姓屋敷二五四とある。

毛利輝元が元和三年(一六一七)次男就隆に分知した領知目録に、中須村二千五七七石三斗一升五合とみえるが、同七年には本藩に返して替地を受領している(毛利家文書)

中須村
なかずむら

[現在地名]益田市中須町

高津川と益田川が形成する平野北端、日本海に臨む。地名のいわれは「石見八重葎」には高津川と益田川の中間にあるので中洲と称したという。東は久城くしろ村、南は中吉田なかよしだ村。永和二年(一三七六)四月二二日の益田本郷御年貢并田数目録帳(益田家文書)に、三郎五郎さぶろうごろう名の所在地として「大中洲」、弥四郎大夫やしろうだゆう名の所在地として「小中洲」がみえる。江戸時代の領主の変遷は益田村と同じ。元和五年(一六一九)の古田領郷帳に村名がみえ、高三〇石余、年貢は田方三石余・畑方一〇石余とある。正保四年(一六四七)の古田領郷帳では高三〇石余、免四ツ四分五朱。明和七年(一七七〇)の村書上帳(大賀家文書)では家数七七、牛五・馬一、人口三〇七(うち男一四三・女六四)、川船四(全部七石積)、安永六年(一七七七)の村明細帳(右田家文書)では家数七七・人口三〇七とある。

海に面して良港をもつ中須浦は益田組七浦大年寄の支配下で、大年寄は大賀家で浦長兼帯世襲。慶応二年(一八六六)の浦方諸事書上帳(大賀家文書)によると浦方上納銀四三匁余(うち水夫役三六匁余・浦役七匁)、鰯網四帖役二〇目・糸網一帖役八匁、五五石以上二一四石積の船一八、大敷網・鰯網漁も盛んで北前航路も行われ、船問屋は賑わった。

中須村
なかすむら

[現在地名]安佐南区安古市やすふるいち町中須

高宮たかみや中筋古市なかすじふるいち村の北に位置し、村の中央をやす川、東端をふる川がともに南流する。古く川中州の地で、小瀬こぜ来船きふね蔦島つたがしま黒川くろかわなどの地名は往時の地勢を示す(安佐郡誌)沼田ぬまた郡に属し、安川の上流が大町おおまち村、古川の上流が緑井みどりい村、西隣は北下安きたしもやす村、東は古川を越えて温井ぬくい村に接する。雲石路が古川沿いに南北に通る。地勢上水害に見舞われることが多かったが、安川を古川へ直結する小瀬放水路が昭和三〇年(一九五五)に完成、安川の中須より下流は廃川敷となった。

嘉禎四年(一二三八)四月一七日付の伊都岐島社廻廊員数注進状案(新出厳島文書)の「自大宮御方南脇至于御供屋三十間」のうち「未被立分」に「中洲別府」とみえる。正応二年(一二八九)正月二三日付の沙弥某譲状(田所文書)は、安芸国の在庁官人田所氏の譲状で、前半は得分や所領を、後半は所従などを書上げているが、そのなかに「一所田畠一反内田大畠一反 中洲作人不定即進止也」「中洲別符友末 父者紀五郎大夫友道也、重代相伝下人也、子細者友末起請文并日吉大宮預所周防律師状次第沙汰証文具者也」とみえ、中洲別符なかすべつぷの在地名を冠する友末は、田所氏の譲与財産へ所従として記されるような存在であった。

中須村
なかずむら

[現在地名]府中市中須町

芦田あしだ川の左岸に位置し、古代の山陽道(近世の石州路)が通る。北は広谷ひろたに村、南は相方さがた(現芦品郡新市町)、東は品治ほんじ新市しんいち(同上)、西北は高木たかぎ村。「福山志料」に「ムカシハ中洲村トテ芦田川二ツニ岐レタルソノ中ニアリシト云」、「西備名区」に「本村は宮内亀寿山の西の麓より南かけて小村なりしが、穴の海埋れて朝川の流れとなりし、その中洲なりしを、水野侯の時、川かへありて中洲を開墾して是を付属し、中洲村と云、今中といふ」とある。中洲から中須への改称の真偽およびその時期は不明だが、天文二〇年(一五五一)一〇月二四日付熊野刑部丞宛の知行宛行状(「閥閲録」所収熊野五郎兵衛家文書)には中須とみえる。

中須村
なかのすむら

[現在地名]斐川町中洲なかのす

斐伊川支流の河口の村。久木ひさぎ五ヵ村の一つ。北は黒目くろめ村、西はみなみ村。東は宍道湖で、斐伊川の沖積作用を利用した新田開発により東方に村域を拡張させていった。網場あんば川が村の中央を貫流している。「雲陽誌」の水浜の項に長さ二五〇間とある。東の河口には野鳥が多く、松江藩の狩猟場があった。中須鶉御場(網場川北)、中須鶴御場(後須山西方)とよばれ、「秋鶴の羽合わせ」の放鷹の際には、後須うしろす山でも藩主の鷹宿を勤めたという(出東村誌)

仲須・中洲とも書き、「なかす」「なかんす」ともよぶ。文政七年(一八二四)の有高輪切帳写(県立図書館蔵)に記載された輪は、平島ひらしま輪・壱町田いつちようだ輪・今津いまづ輪・善庄ぜんしよう輪・内中須うちなかす輪・はらかき輪・網場輪がある。

中須村
なかずむら

[現在地名]南知多町豊浜とよはま

大泊おおどまり村の東に続く海浜の村で、民家は海岸沿いに建並び、背後は急峻な丘陵である。もとは東に接する須佐すさ村の一支郷であったが、天保年間(一八三〇―四四)頃には独立して一村となった(徇行記、天保郷帳)。「徇行記」による支郷の頃は「中須浦ハ海ヲ前ニシ山ヲ後ニシテ漁業ヲ第一生産トシ、矮屋数戸建ナラヘリ」とあり、耕地は僅かで漁業と回漕業が盛んであった。三〇―一五〇石積のいさば船一二艘、漁船四〇艘があり、鰯網役銀四九匁を上納した。文化一三年(一八一六)の戎講組合船数帳(内田家所蔵)によれば、元禄四年(一六九一)の中須の船数は、七〇艘一千三二〇石で、内海うつみ師崎もろざきに次いで多い。

中須村
なかずむら

[現在地名]安八町中須

揖斐いび川左岸に位置し、東は森部もりべ輪中、北は大明神だいみようじん村。東から北は中須川、一村で中須輪中を形成し、完全な囲堤集落となったのは安政七年(一八六〇)といわれる。古来より中津とも記され、村名は享禄三年(一五三〇)の大洪水の際に揖斐川の河道が変動し中洲ができたことに由来するという(名森村史)慶長郷帳に中津とみえ村高二五三石余、元和二年(一六一六)の村高領知改帳では中津村とみえ旗本日根野高継領。正保郷帳では中須村とみえ幕府領、田高一一七石余・畑高一三六石余。元禄郷帳では村高三四六石余。享和四年(一八〇四)大垣藩預所となり、幕末に至る(岐阜県史)

中須村
なかずむら

[現在地名]多度町中須

南之郷みなみのごうの西、肱江ひじえ川が多度川と合流する付近、堤防上にあり、中須輪中といわれた。多度川と木曾三川揖斐いび川の中洲にあったことによる地名という(五鈴遺響)。耕地は肱江川河床より低いため川向いの香取かとり村より、川底の下をくぐる用水路を通じている(多度町史)。古くは肱江川は中須の上流から、大鳥居おおどりいの南にかけて流れていたのを、現在のように河流を切替えたと伝える。また安永二年(一七七三)正月の川替推定証文之事(多度町史)によれば、肱江・香取・戸津とうづ三ヵ村の悪水排除のため、新川を作り、新堤防築上によって当村の百姓八軒の立退き、耕地潰れのため三ヵ村には代償金八〇両が支払われた。

中須村
なかすむら

[現在地名]玉之浦中須郷なかすごう

小川おがわ村の北に位置し、玉之浦の深い入江に中須川が注ぐ。江戸時代は福江藩領で、玉之浦掛に属する。万治二年(一六五九)惣高積之帳に玉之浦領として「中須」とみえ、今高一二一石余。天和三年(一六八三)荒川あらかわ村・中須村・小川幾山おがわいつくやま村の前代以来の運上として「しい」(椎か)、「山もも」の初尾、「もづく」などが確認されている(「御掟書」五島編年史)。のち小川村のうちに編入されたと考えられ、安永元年(一七七二)の新田畑改高では小川村中須分として高四石余、文化三年(一八〇六)には小川村中須分として高六石余とされる(天保五年福江領高辻郷村帳)

中須村
なかすむら

[現在地名]中川区中須町

東は打出うちで村。庄内川が流れ、村は川により二分されている。「尾張国地名考」によれば、村名は「中州」に由来する。「寛文覚書」によれば、田畑二四町一反余のうち田が一四町四反余を占め、新田が五町三反余開発された。東西二町・南北二町半の砂河原には柳や松が植えられた。寛文一一年(一六七一)の家数四二、人数二五五。明和四年(一七六七)洪水により庄内川の堤が決壊したため庄内川分水工事が行われ、天明四年(一七八四)にはしん川の開削となった。

中須村
なかずむら

[現在地名]伊勢市中須町

宮川下流の左岸自然堤防上、川端かわばた村の南にあり、土地低く中洲の意である。康永三年(一三四四)の法楽寺文書紛失記(京都市田中忠三郎氏蔵文書)に「一 中須庄一円 法楽寺領 在度会郡」と記されるが、この中須庄の荘域については不明である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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