日本歴史地名大系 「大村湊」の解説 大村湊おおむらみなと 長崎県:大村市大村城下大村湊[現在地名]大村市西本町・水主町など大村湾の東岸に設けられた近世の湊津。大村城下の波戸(はと)丁を中心に運営されたが、城下域となった大村久原(くばら)分・池田(いけだ)分の玖島(くしま)津・新城(しんじよう)浦・草場(くさば)浦・板鋪(いたしき)浦・東(ひがし)浦・前船津(まえふなつ)浦などは漁労の拠点であるとともに、船役所・船蔵・米蔵が置かれて湊の機能を有しており、城下の流通を補完したものと考えられる。「リンスホーテン編大航路誌」には、天正一二年(一五八四)マカオから中国大陸の沿岸を経て平戸および大村の湊に向かう航海の記事がある。正保国絵図に「大村城下より時津まで船路四里」とあって、大村湾内の時津(とぎつ)(現時津町)・津水(つみず)(現諫早市)・彼杵(そのき)(現東彼杵町)・松(まつ)島(現大瀬戸町)の諸浦や針尾(はりお)瀬戸、また内海を出て平戸・長崎・五島の各方面と結ぶ海路が記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by