江戸の装剣金工家の家系。始祖は元禄(げんろく)(1688~1704)のころの小田原の人で四郎兵衛という。その子重光は土屋安親(やすちか)の門人で2代と伝えるが、横谷宗珉(よこやそうみん)の門から出た大森英昌(てるまさ)(1713―80)が一家をなして以来、この派は横谷系統の一派として柳川派、古川派などとともに有名になった。英昌の子が大森家4代の英秀(てるひで)(1725―98)で、父の彫技を継いでこれをしのぎ、一派の作風を定めた。作風は横谷流の牡丹獅子(ぼたんじし)の図の赤銅魚子(しゃくどうななこ)地の高彫りの作から、肉合(ししあい)彫り象眼(ぞうがん)の唐人物の作、彼の独創した鋤下(すきさ)げ彫り崩しの手法による波文、さらに梨子(なしこ)地象眼など作域は広い。英秀の子に英満(てるみつ)があって父に次ぐ上手(じょうず)であるが、創意に乏しい。この派の繁栄は大いにみるべきものがあるが、とくに優れた者はいない。
[小笠原信夫]
中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...