大森陣屋跡(読み)おおもりじんやあと

日本歴史地名大系 「大森陣屋跡」の解説

大森陣屋跡
おおもりじんやあと

[現在地名]八日市市大森町

玉緒たまお小学校および玉緒公民館敷地内にあった旗本最上氏の陣屋。寛永八年(一六三一)に設置された。出羽山形藩五七万石を領する最上氏は元和八年(一六二二)家中騒動の結果改易され、藩主義俊に対しては改めて宛行扶持一万石が近江国蒲生がもう愛知えち・甲賀三郡と三河国の内に与えられた。最上領となった近江国の村々は蒲生郡の下大森村・尻無しなし村・上大森村、稲垂いなたり(現蒲生町)石原いしはら村・小御門こみかど村・野口のぐち(現日野町)甲賀郡一之瀬いちのせ(現土山町)上野うえの(現甲南町)、愛知郡池庄いけしよう(現湖東町)の一〇ヵ村・五千石余であった(明治二年「最上義連所領高書上」鳥越文書)


大森陣屋跡
おおもりじんやあと

[現在地名]印西市大森

山城淀藩の陣屋跡。大森役所とも称した。現在は畑地。寛文期(一六六一―七三)新田開発に伴い利根川布川ふかわ(現茨城県利根町)布佐ふさ(現我孫子市)間の締切が行われ、布川に幕府代官の陣屋が置かれていたが、締切解除後の同一一年大森に陣屋が移された。元禄一〇年(一六九七)に廃されたが、大森古陣屋とよばれた(「印西町史」など)。享保八年(一七二三)佐倉藩主稲葉正知が山城淀藩に移封となり、印旛いんば郡一六村・六千一八〇石余、埴生はぶ郡三〇村・一万四千九二九石余、香取郡一〇村・三千七二四石余が同藩の飛地領となった(淀藩領郷村帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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