稲葉正邦(読み)いなば まさくに

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「稲葉正邦」の解説

稲葉正邦 いなば-まさくに

1834-1898 幕末-明治時代の大名,華族
天保(てんぽう)5年5月26日生まれ。陸奥(むつ)二本松藩(福島県)藩主丹羽長富(にわ-ながとみ)の子。稲葉正誼(まさよし)の養子。嘉永(かえい)元年山城(京都府)淀(よど)藩主稲葉家12代となる。文久3年京都所司代に就任,京都守護職松平容保(かたもり)とともに尊攘(そんじょう)派に対した。老中にすすみ,国内事務総裁をかね,将軍徳川慶喜(よしのぶ)を補佐鳥羽・伏見の戦いでは中立を宣言し,新政府軍勝利の一因となった。明治17年神道本局初代管長,子爵。明治31年7月15日死去。65歳。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「稲葉正邦」の意味・わかりやすい解説

稲葉正邦
いなばまさくに

[生]天保5(1834).陸奥,二本松
[没]1898
幕末の老中。長門守,美濃守。岩代二本松城主丹羽 (にわ) 長富の次男。のち淀藩主稲葉正誼の養嗣子となり,嘉永1 (1848) 年,襲封。文久3 (63) 年,京都所司代に就任,翌年,老中に列した。慶応3 (67) 年,内国事務総裁。老中在職中の正邦の書簡,意見書などをまとめた『淀稲葉家文書』は幕末の政局を知る好史料。

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世界大百科事典(旧版)内の稲葉正邦の言及

【神道大教】より

…神道本局を1940年に改称したもの。1875年大教院解散後,神道関係者は神道事務局を創設したが,黒住教,神道修成派等が独立していくなかで,一派独立をなしえない旧教導職が84年に稲葉正邦(1834‐98)を管長に神道本局を組織,各地に分局,支局を設置,86年以後〈神道〉の名称で独立教派の扱いを受けた。宮中三殿奉斎の神霊をまつり,〈三条教則〉を教憲となし,惟神(かんながら)の大道を拡張し神道を宣揚することを目的とした。…

※「稲葉正邦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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