大沢善助(読み)オオサワ ゼンスケ

20世紀日本人名事典 「大沢善助」の解説

大沢 善助
オオサワ ゼンスケ

明治・大正期の実業家 京都電燈会社社長



生年
嘉永7年2月9日(1854年)

没年
昭和9(1934)年10月10日

出生地
京都府京都市上京区富小路通丸太町下ル

経歴
父は俠客で、のち父の大親分にあたる大沢清八の養子となる。明治4年家を出て白米商、魚商、瀬戸物商、古道具商などに従事。この間、得意先である同志社寄宿舎にかよううちに新島襄感化を受け、キリスト教入信。23年時計、自転車輸入、製造、販売を始め、京都に時計工場を設立し、大沢商会を創立した。京都府政にもかかわり、琵琶湖の疏水工事を着工、電気事業に着目して、25年京都電燈会社の3代目社長に就任、日本最初の遠距離送電に成功した。昭和2年まで在任。また釜山電燈、日本水力、大同電力などに関係、さらに京都陶器、京都商工銀行各重役、京都商工会議所副会頭も務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大沢善助」の解説

大沢善助 おおさわ-ぜんすけ

1854-1934 明治-昭和時代前期の実業家。
嘉永(かえい)7年2月9日生まれ。明治10年新島襄から受洗。24年時計,自転車の輸入・製造販売をはじめ,大沢商会を創立。25年京都電灯の社長となり,27年京都電気鉄道を設立し,わが国最初の市街電車をはしらせた。昭和9年10月10日死去。81歳。京都出身。幼名は松之助。前名は清八。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「大沢善助」の解説

大沢 善助 (おおさわ ぜんすけ)

生年月日:1854年2月9日
明治時代;大正時代の実業家。京都電灯社長
1934年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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