大河内庄(読み)おおこうちのしよう

日本歴史地名大系 「大河内庄」の解説

大河内庄
おおこうちのしよう

正中二年(一三二五)一一月二五日の承鎮法親王附属状(三千院文書)によると、承鎮法親王は梶井門跡(京都三千院)領の寺院・寺領などを後醍醐天皇の皇子尊雲(護良)法親王に譲っており、このなかに法性ほつしよう寺東北院(現京都市東山区)領の大河内庄がみえる。法性寺東北院は藤原忠平が延長三年(九二五)に建立した寺院で、当庄の本家職をもっていたものらしい。護良法親王が受けた権益は不明だが、梶井門跡に歴代相伝されたものと考えられる。領家は山城醍醐寺であったようである。文和四年(一三五五)五月二日、醍醐寺三宝さんぼう院の賢俊は当庄などのことで朝秀を播磨に派遣している(賢俊僧正日記)年月日未詳の醍醐寺領知行不知行目録(醍醐寺文書)によると、当庄の年貢は三〇〇石であるが、守護押領して不知行とある。この頃は南北朝の動乱期で、播磨国神西じんさい郡でも守護赤松氏と但馬国の山名氏との戦いが続いていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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