鎌倉末~南北朝初期の僧侶。第65代醍醐寺座主,菩提寺僧正と号す。権大納言日野俊光の子で,三宝院賢助を師として出家。醍醐寺内は持明院・大覚寺両統と結ぶ2派の抗争がつづくが,持明院統に親密の日野家の出である賢俊は一貫して持明院統側に立ち,とくに後醍醐天皇の寵をうけて権勢を振るった文観(もんかん)(弘真)と激しく一山の主導権を争った。1336年(建武3),京都周辺の戦いに敗れ西走する足利尊氏に光厳上皇の院宣授与を仲介し,以後行動を共にする。室町幕府成立後は尊氏の信任を一身に受け,醍醐寺座主,東寺長者,法務等に任じ,観応の擾乱に際しても後事を光済に託して従軍した。正平一統後,後光厳天皇の擁立に際しても,神鏡の容器を神器の代役として義詮や北朝の危機を救うなど,〈将軍門跡〉にふさわしい活躍をし,政界に醍醐寺の地位を固めると同時に,一山内に三宝院の主導権を確立した。《賢俊僧正日記》2巻がある。
執筆者:笠松 宏至
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(正木晃)
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