大泰寺(読み)だいたいじ

日本歴史地名大系 「大泰寺」の解説

大泰寺
だいたいじ

[現在地名]那智勝浦町下和田

太田おおた川沿いの尾捨おすて山の小高い地にある。臨済宗妙心寺派。定光山と号し、本尊釈迦如来境内には本堂はじめ諸堂宇があり、薬師堂の本尊は古来熊野七仏の一として著名。寺伝によれば最澄の開創といい、古くは天台宗で桓武天皇勅願の道場であったという。享禄天文(一五二八―五五)頃、安渓が当寺に住したことにより禅宗化が進み、その後新宮しんぐう(現和歌山県新宮市)城主堀内安房守が駿河国より秀山を招き、まず新宮の崗輪寺(現宗応寺)に住させ、慶長年間(一五九六―一六一五)当寺に転住させたという。この秀山の時に禅宗となり、寛文年中(一六六一―七三)に京都妙心寺末となったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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