大田窪村(読み)だいたくぼむら

日本歴史地名大系 「大田窪村」の解説

大田窪村
だいたくぼむら

[現在地名]浦和市太田窪だいたくぼ一―五丁目・原山はらやま一―二丁目・駒場こまば二丁目・太田窪

原山村の西に位置し、南はしば(現川口市)など。洪積台地台地に入り込む溺れ谷が長く展開する。当地の守光しゆこう院の縁起によると、佐々木守綱(盛綱)が源頼朝挙兵に際し軍兵催促のため当地に要塞を構え、五ヵ月間滞在したという。小田原衆所領役帳に上足立「大多窪」の一貫文の地が江戸衆の「千葉殿」の所領としてみえる。天正五年(一五七七)一〇月二〇日の北条家印判状写(武州文書)に「大田窪千葉分」とあり、北条氏は岩付太田氏の家臣千葉氏に対し篠竹供出を命じている。同九年には北条氏政が千葉氏領の大田窪百姓中に対し、陣夫徴発の旧例と現況を報告するよう命じており(六月二六日「北条氏政印判状写」同文書)、また同一五年には太田氏房が「たいたくほ千葉領百姓中」に岩付いわつき(現岩槻市)の諸曲輪の塀の修復を命じている(一〇月一八日「太田氏房印判状写」同文書)

「風土記稿」によると、徳川家康の関東入国後、岩槻城主高力清長の支配下に入ったが、家臣中村弥右衛門吉照(吉繁か)が支配し、それ以来幕府領となったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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