日本歴史地名大系 「大篠原村」の解説 大篠原村おおしのはらむら 滋賀県:野洲郡野洲町大篠原村[現在地名]野洲町大篠原鏡(かがみ)山北西麓にあり、東は蒲生(がもう)郡鏡村(現竜王町)。北部の耕地部と南東部の山嶺部からなり、山嶺部は字立石(たていし)・寒谷・雑木谷(ざつぼくだに)・弥勒寺(みろくじ)などの広大な禿山。字寒谷から流れ出た成橋(なるはし)川(光善寺川)は禿山の土砂を堆積して天井川となり、北流して日野川に合流する。耕地部を中山道が横切る。集落は耕地中央部の成橋川西岸と中山道沿い、さらに東端の中山道南面の計三ヵ所に分れる。東端の集落は中山道北面の入町(いりまち)村の集落と一対をなす。北西部の耕地に近年まで条里地割が残り、中山道南側には六町余の西(にし)池をはじめ四つの溜池があり不規則な耕地が山麓に迫る。中世には篠原庄内であったとみられるが、天正三年(一五七五)成立の牛頭天王社之記(大笹原神社文書)には「江州益須郡玉造郷篠原保大篠原里」と記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by