大給城跡(読み)おぎゆうじようあと

日本歴史地名大系 「大給城跡」の解説

大給城跡
おぎゆうじようあと

[現在地名]豊田市大内町 城下

たき川左岸、標高二〇七メートルの高さにある山城石垣・削平地・削崖が残る。面積六五三・四平方メートル。西・南・北は絶壁で、東側の石塁は高さ二・五メートル・幅二メートル・長さ二三メートル余。本丸の面積三〇アール、物見岩・米流し石・井戸跡がある。二の丸の面積二七アール、二の丸の南に大手門・空堀跡が残る。大給松平氏の初代乗元以来五代真乗までの居城応仁―文明(一四六七―八七)の頃、土豪長坂新左衛門の居城であったが、松平信光に奪われ、その子親忠が受継いで親忠の次男乗元が城主となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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