大荒戸村(読み)おおあらとむら

日本歴史地名大系 「大荒戸村」の解説

大荒戸村
おおあらとむら

[現在地名]松之山町大荒戸

新山あらやま村の北にあり、西は小谷こたに村。東側を渋海しぶみ川の支流が北流する。正保国絵図に高一八石余。天和三年郷帳では高二五石九斗余、反別畑屋敷三町五反余・青苧畑一反余。安永九年(一七八〇)新田検地では高二八石五斗余。その後北境、千年ちとせ(現松代町)に向けて開田が進んだと思われる。貞享五年(一六八八)の鉄炮無之村々証文帳控(国立史料館蔵)には庄屋一・組頭一・百姓四・名子一が連印している。伝説では正治年間(一一九九―一二〇一)越後守護佐々木盛綱の一族那須住人丹治左衛門俊秀が、姓を大関と改め大荒戸に拠ったという。

大荒戸村
おおあらとむら

[現在地名]長岡市大荒戸町

三島さんとう郡との郡境に接し、西方の西山丘陵が近くに望める位置にある。村内を南北上除かみのぞき与板よいた(現三島郡与板町)を結ぶ道が貫通する。南は河根川かわねがわ村、東はさかい村の支村古新田に隣接する。西側を菖蒲しようぶ川が北流する。口碑では永正(一五〇四―二一)の頃小木おぎ(現三島郡出雲崎町)城主松本左馬助の臣下が来て土着したといい、そのなかには里正桜井文右衛門・医者桜井寸伯などもいたと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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