大谷喜久蔵(読み)オオタニ キクゾウ

20世紀日本人名事典 「大谷喜久蔵」の解説

大谷 喜久蔵
オオタニ キクゾウ

明治・大正期の陸軍大将,男爵



生年
安政2年12月28日(1856年)

没年
大正12(1923)年11月26日

出生地
越前国敦賀(福井県敦賀市)

学歴〔年〕
陸士〔明治11年〕卒

経歴
明治4年兵士として大阪鎮台彦根分営に入ったのち陸軍士官学校に学び、11年同校の第二期卒業生となる。日清戦争では第6師団参謀として従軍し、戦後第4師団参謀長・近衛師団参謀長などを務めたのち31年新設の教育総監部本部長に就任。さらに陸軍戸山学校長となり、士官の教育に力を注いだ。日露戦争に際しては第3軍兵站監として旅順攻略戦における補給線の確保に尽力し、のち韓国駐箚軍参謀長に転出。その後、教育総監部参謀長・第5師団長などを歴任し、第1次世界大戦勃発で青島守備軍司令官を務めた。大正5年には大将に昇進し、6年軍事参議官、7年のシベリア出兵浦塩派遣軍司令官をなど経て9年に予備役に編入、同時に男爵に叙された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大谷喜久蔵」の解説

大谷喜久蔵 おおたに-きくぞう

1856*-1923 明治-大正時代軍人
安政2年12月28日生まれ。明治30年近衛師団参謀長。ついで教育総監部本部長,戸山学校長などをつとめ,日露戦争では第二軍兵站(へいたん)監で出征。第五師団長などをへて浦塩(ウラジオストク)派遣軍司令官,教育総監となる。陸軍大将。大正12年11月26日死去。69歳。越前(えちぜん)(福井県)出身。陸軍士官学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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