大谷 籌子
オオタニ カズコ
明治期の宗教家
- 生年
- 明治15(1882)年11月5日
- 没年
- 明治44(1911)年12月27日
- 旧姓(旧名)
- 近衛
- 学歴〔年〕
- 華族女学校初等科卒
- 経歴
- 公爵・近衛通孝の三女で、貞明皇后の姉。明治25年10歳で西本願寺に入り、次いで華族女学校初等科を卒業。大口鯛二から和歌と書の手ほどきを受け、足利義山に仏典などを学ぶ。32年浄土真宗本願寺派の大谷光瑞と結婚。35年に夫が同派の法主に就任すると、ともに清国巡教を行うなど大いに夫を助けた。その一方で仏教婦人会でも活躍。その後、慈善事業・女子教育の調査のためにヨーロッパ各国を歴訪し、43年に帰国。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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大谷籌子 おおたに-かずこ
1882-1911 明治時代,大谷光瑞(こうずい)の妻。
明治15年11月5日生まれ。九条道孝の3女。貞明皇后の姉。大口鯛二(たいじ)に和歌と書道,足利義山に仏典などをまなぶ。明治32年結婚,36年浄土真宗の本願寺派法主(ほっす)となった夫をたすけ,仏教婦人会などで活躍した。明治44年1月27日死去。30歳。華族女学校卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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