朝日日本歴史人物事典 「大道寺隼人」の解説
大道寺隼人
生年:天文21(1552)
江戸初期の弘前藩(青森県)家老。直英。父は舎人忠経,のち大道寺政繁の養子となる。天正18(1590)年,後北条氏が滅んで大道寺氏は浪人となり,一時徳川義直に仕えてのち,慶長19(1614)年弘前藩2代藩主津軽信枚に仕えた。元和2(1616)年500石を拝領,亀ケ岡築城の縄張りを命じられ,9年には藩主に随行して上洛した。寛永11(1634)年の家中騒動舟橋事件では収拾に奔走し,その功により1000石を拝領し家老となった。弘前で死去。弘前藩の初期藩政に大きな影響を与えた人物であり,初代隼人以後,藩内で家老を務める人材を輩出し,また隼人を称した子孫も多く,3代後の隼人繁清は4代藩主津軽信政を補佐した家老として有名。<参考文献>『津軽藩旧記伝類』
(長谷川成一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報