大野弁吉(読み)おおのべんきち

改訂新版 世界大百科事典 「大野弁吉」の意味・わかりやすい解説

大野弁吉 (おおのべんきち)
生没年:1801-70(享和1-明治3)

幕末の科学技術者。京都の生れといわれ,20歳のころ長崎に出て,オランダ人について医術理化学を学び,かたわら絵画彫刻を習った。対馬朝鮮に渡ったともいわれ,またシーボルトに学んだともいわれる。30歳のころ加賀の大野村に居住し,大野弁吉と名のる。その非凡な才能は金石(かないわ)の豪商銭屋五兵衛の目にとまり,彼の技術顧問として才能を発揮する。その理化学についての知識は,唯一の遺著《東視窮録》にみられ,エレキテルや火薬製法などが書かれており,からくりの〈茶くみ人形〉の設計図も描かれている。天文学,暦数,理化学,医学,鉱山学,航海術にも精通し,また写真術もいち早く会得していた。しかし銭屋五兵衛の失墜とともに,その才能も埋もれた。金沢近辺には,彼が製作した三番叟人形や自動噴水器などのからくり細工をはじめ,写真機,望遠鏡,ライターなど貴重な遺品が現存している。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大野弁吉」の解説

大野弁吉 おおの-べんきち

1801-1870 幕末の科学技術者,からくり師。
享和元年生まれ。長崎で医術,理化学などをオランダ人からまなび,のち加賀(石川県)大野村にすむ。豪商銭屋五兵衛にみとめられ,多方面で活躍。からくり人形や写真機,望遠鏡,発火器などの作品がのこされている。明治3年死去。70歳。京都出身。名は薫。通称は中村屋弁吉。号は鶴寿軒,一東(いっとう)。著作に「一東視窮録」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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