大錦卯一郎(読み)オオニシキウイチロウ

デジタル大辞泉 「大錦卯一郎」の意味・読み・例文・類語

おおにしき‐ういちろう〔おほにしきうイチラウ〕【大錦卯一郎】

[1891~1941]力士。第26代横綱。大阪府出身。本名、細川卯一郎。大正12年(1923)力士会による待遇改善を求めたストライキ(三河島事件)の責任をとって引退。優勝5回。→第25代横綱西ノ海 →第27代横綱栃木山

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20世紀日本人名事典 「大錦卯一郎」の解説

大錦 卯一郎
オオニシキ ウイチロウ

大正期の力士(26代横綱)



生年
明治24(1891)年11月25日

没年
昭和16(1941)年5月13日

出生地
大阪市・南地島ノ内

本名
細川 卯一郎(ホソカワ ウイチロウ)

経歴
明治42年出羽海部屋(常陸山)に入門、43年初土俵。大正4年1月入幕、同年6月小結、5年1月入幕3場所目で大関昇進、6年3月横綱太刀山、鳳を破って全勝、26代横綱となった。左四つ寄り吊りが得意。12年1月待遇改善のストライキとなり、責任をとって1月8日の手打式でマゲを切り引退声明した。引退後は旅館を営み、早大政治科に入り、卒業後報知新聞社嘱託となって相撲評を書いた。優勝5回、勝率0.88。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大錦卯一郎」の解説

大錦卯一郎 おおにしき-ういちろう

1891-1941 明治-大正時代の力士。
明治24年11月25日生まれ。42年出羽海部屋に入門し,大正4年入幕。6年26代横綱となる。身長176cm,体重141kg。優勝5回。12年力士団の待遇改善のストライキ(三河島事件)の責任をとり引退。のち早大でまなび,「報知新聞」に相撲評をかいた。昭和16年5月13日死去。51歳。大阪出身。本名は細川卯一郎。

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367日誕生日大事典 「大錦卯一郎」の解説

大錦 卯一郎 (おおにしき ういちろう)

生年月日:1891年11月25日
明治時代;大正時代の力士(26代横綱)
1941年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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