デジタル大辞泉
「西ノ海嘉治郎」の意味・読み・例文・類語
にしのうみ‐かじろう〔‐カヂラウ〕【西ノ海嘉治郎】
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
西ノ海 嘉治郎(2代目)
ニシノウミ カジロウ
明治・大正期の力士(第25代横綱)
- 生年
- 明治13(1880)年2月6日
- 没年
- 昭和6(1931)年1月27日
- 出生地
- 鹿児島県熊毛郡北種子村西ノ表(現・西之表市西之表川辺)
- 本名
- 近藤 休八
- 旧姓(旧名)
- 牧瀬
- 別名
- 旧シコ名=種子ケ島,星中,錦洋 与三郎,西ノ海 灘右衛門,年寄名=井筒 嘉次郎(イズツ カジロウ)
- 経歴
- 明治33年井筒部屋より“種子ケ島”のシコ名で初土俵。39年初入幕。のち西ノ海嘉治郎と改名し、第25代横綱に昇進。通算成績106勝38敗37分、優勝1回。大正7年引退して、年寄・井筒を襲名、検査役に挙げられ、12年に取締役となる。昭和6年役員選挙にからみ、他の協会幹部と意見が衝突、取締役を辞任して自殺した。
西ノ海 嘉治郎(3代目)
ニシノウミ カジロウ
大正・昭和期の力士(第30代横綱)
- 生年
- 明治23(1890)年11月2日
- 没年
- 昭和8(1933)年7月28日
- 出生地
- 鹿児島県西国分村浜ノ市松山(現・姶良郡隼人町真孝松山)
- 本名
- 松山 伊勢助(マツヤマ イセスケ)
- 別名
- 旧シコ名=源氏山 大五郎,年寄名=浅香山
- 経歴
- 明治43年井筒部屋からシコ名“源氏山”(げんじやま)で初土俵。大正5年初入幕。のち西ノ海嘉治郎と改名し第30代横綱に昇進。通算成績134勝60敗4分、優勝1回。昭和3年引退し、年寄・浅香山を襲名。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
西ノ海嘉治郎(初代)
没年:明治41.11.30(1908)
生年:安政2.1.3(1855.2.19)
明治時代の力士。16代横綱。薩摩国(鹿児島県)高城郡麓村生まれ。本名小園嘉治郎。横綱は従来地位ではなく大関中の強豪力士に与えられる称号で,番付面では単に大関と記されていたが,明治23(1890)年初代西ノ海が横綱を許されたとき,初めて番付に横綱と表記された。初め京都相撲に加入し,明治14年上京して高砂の門に入り幕下付け出しでスタート。15年入幕。17年大関に昇進。175cm,128kg。きめ出しが得意の大まかな取り口で目立つ記録はないが,横綱に推挙されたのは薩摩出身で有力後援者に恵まれたこと,実力者高砂浦五郎(初代)の門弟であったことによるもので,「藩閥横綱」と評された。引退後は井筒を襲名し,逆鉾与治郎,駒ケ岳国力,2代西ノ海嘉治郎らを育てた。<参考文献>池田雅雄『歴代横綱正伝』
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
西ノ海嘉治郎(1) にしのうみ-かじろう
1855-1908 明治時代の力士。
安政2年1月3日生まれ。高砂(たかさご)部屋に入門し,明治15年入幕。18年大関,23年16代横綱。優勝2回。29年引退して年寄井筒を襲名。番付に「横綱」の文字が冠されたのは西ノ海が最初。明治41年11月30日死去。54歳。薩摩(さつま)(鹿児島県)出身。本名は小園嘉次郎。
西ノ海嘉治郎(2) にしのうみ-かじろう
1880-1931 明治-大正時代の力士。
明治13年2月6日生まれ。井筒部屋に入門し,明治39年入幕。錦洋(にしきなだ)から西ノ海にあらため,43年大関,大正5年25代横綱。優勝1回。7年引退して年寄井筒を襲名。昭和6年1月27日死去。52歳。鹿児島県出身。本名は近藤休八。
西ノ海嘉治郎(3) にしのうみ-かじろう
1890-1933 明治-昭和時代前期の力士。
明治23年11月2日生まれ。井筒部屋に入門し,はじめ源氏山を名のる。大正5年入幕,12年30代横綱となり西ノ海を襲名。優勝1回。引退して年寄浅香山を襲名。昭和8年7月28日死去。44歳。鹿児島県出身。本名は松山伊勢助。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
西ノ海 嘉治郎(3代目) (にしのうみ かじろう)
生年月日:1890年11月2日
明治時代-昭和時代の力士(第30代横綱)
1933年没
西ノ海 嘉治郎(初代) (にしのうみ かじろう)
生年月日:1855年1月3日
明治時代の力士(第16代横綱)
1908年没
西ノ海 嘉治郎(2代目) (にしのうみ かじろう)
生年月日:1880年2月6日
明治時代の力士(第25代横綱)
1931年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報