大正期の力士。27代横綱。栃木県藤岡町(現,栃木市)の農家に生まれた。本名中田守也。家出して,18歳で横綱常陸山谷右衛門のいる出羽海部屋に入門,1911年1月初土俵,5月序ノ口に出てから7場所,3年半で黒星わずか3個というスピード出世で,15年1月入幕した。翌16年5月小結で56連勝の横綱太刀山を破り一躍花形力士になった。17年1月関脇,5月大関となり,大関2場所目の18年1月,全勝して横綱免許となった。身長171cm,体重105kgの恵まれない体格ながら,猛稽古によって,相手にまわしを与えないはず押しの近代相撲を完成した。25年1月,9回目の優勝を最後に引退,連続優勝5回,7年14場所の横綱在位勝率は9割3分5厘と抜群の成績であった。31年,第1回大日本相撲選手権大会に年寄春日野として出場し,玉錦,天竜らを倒し,39歳で日本選手権を獲得した。協会理事を長く務め,栃錦,栃ノ海の2横綱らを育てた。
執筆者:池田 雅雄
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大正・昭和期の力士(第27代横綱)
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
第27代横綱。横綱常陸山(ひたちやま)(後の出羽海(でわのうみ))の門下。現在の栃木県栃木市藤岡町地区に生まれ、18歳で相撲(すもう)界に入門。1916年(大正5)には太刀山(たちやま)の57連勝を阻む快挙を成し遂げ、1918年1月、大関二場所のあと横綱に昇進した。筈(はず)押しの名人で、優勝9回(連続5回)、身長1.72メートル、体重105キログラム。1925年に引退して年寄春日野(かすがの)を襲名。鹿島洋(かしまなだ)、神東山、相模(さがみ)川、栃錦(とちにしき)、栃ノ海(1938―2021)らを養成し、相撲協会取締として相撲興隆に貢献した。死後、元力士として初の勲四等瑞宝章(ずいほうしょう)を贈られた。
[池田雅雄]
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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