大館跡(読み)おおだてあと

日本歴史地名大系 「大館跡」の解説

大館跡
おおだてあと

[現在地名]松前郡松前町字神明・字福山

大松前おおまつまえ川右岸にあり、東はバッコ沢、西は小館こだての沢に挟まれたおよそ標高四〇―六〇メートルの舌状台地上に位置する。西は福山台地と対峙している。南部は小館とよばれ、掘割を挟んで大館へ続く。北側は二―三重の空壕により台地と区切られている。館跡は未発掘であるが、地表からの観察では幾つかの平場(郭)で構成されていると考えられる。国の史跡に指定され、指定面積は八二・三二二平方メートル。いわゆる道南十二館の一つで、安東氏・下国氏・蠣崎氏(のちに松前氏と改姓)らが蝦夷島を統轄するために定めた居館。

新羅之記録」「松前家記」によると、康正三年(一四五七)五月コシャマインが蜂起、箱館などを攻めたあと「大館」を含む一〇館を攻め落した。大館の守将は下国山城守定季と相原周防守政胤であった。館は復興されたとみえ、長禄三年(一四五九)には宇須岸うすけし(現函館市)随岸ずいがん寺が当地に移されている(福山秘府)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報