天保救荒碑(読み)てんぽうきゆうこうひ

日本歴史地名大系 「天保救荒碑」の解説

天保救荒碑
てんぽうきゆうこうひ

[現在地名]武生市本保町

本保ほんぼの南、西田中にしたなか街道が国道八号に入る地点慈心じしん院跡にある。越前国内の幕府領を管轄した飛騨郡代大井帯刀永昌が天保飢饉の際、救民仁政を施したことを顕彰して、天保八年(一八三七)建てられた。大井永昌は同七年九月検見のため越前に入国したが、飢饉の惨状をみて翌年六月まで異例にも本保陣屋に在陣し、救済にあたった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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