日本歴史地名大系 「天山村」の解説 天山村あまやまむら 福岡県:筑紫野市天山村[現在地名]筑紫野市天山岡田(おかだ)村の北、宮地(みやじ)岳南西麓にある。西方を宝満(ほうまん)川がほぼ南西に流下する。日田街道が北西から南東へ通る。観応三年(一三五二)書写の安楽寺領注進状に「安志岐御封并甘山村」とみえる「甘山村」は当地であろう。宮地岳は天山といわれ、雨山とも書く。応安七年(一三七四)七月日の毛利元春軍忠状案(毛利家文書/南北朝遺文(九州編)五)では、応安五年七月二二日の「雨山麓」での合戦における元春の軍忠が今川了俊から認められ、同八年正月日の山内通忠軍忠状(山内家文書/南北朝遺文(九州編)五)では、通忠に対して応安四年八月一〇日の「天山凶徒没落」等の軍功が同じく今川了俊から承認されている。戦国期には西部に柴田(しばた)城が築かれており、筑紫氏の端城であったとされる(続風土記)。 天山村あまやまむら 滋賀県:野洲郡野洲町天山村[現在地名]野洲町北桜三上(みかみ)山東方、天山(三〇四メートル)の麓にあった中世村落。弥生時代および中世の集落・寺院跡が検出された北桜東(きたざくらひがし)遺跡は当村の跡と考えられている。天山は天農(あまの)山・天ノ山・雨山・阿麻山ともいい、山名は朱鳥元年(六八六)建立の東光(とうこう)寺奥院天山寺に由来する(「三上古跡図」御上神社蔵)。応永五年(一三九八)六角氏頼が東光寺に当村を寄進したという(「日陽山東光寺縁起」御上神社文書)。だが確かな文献上で村名が確認できるのは、文亀二年(一五〇二)の三上山売帳(同文書)で「アマ山ノ総太郎」「アマ山兵衛五郎左衛門」の名がみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by