天引村(読み)あまびきむら

日本歴史地名大系 「天引村」の解説

天引村
あまびきむら

[現在地名]甘楽町天引

南部の山麓から流出する天引川が東部を北流し、東は多胡たご東谷ひがしや村・長根ながね(現多野郡吉井町)、西は白倉しらくら村、北は金井かない村、南は多胡上日野かみひの(現藤岡市)と接する。白倉境の字新屋にいやは「延喜式」左馬寮に記す新屋牧、「和名抄」郡郷の甘楽郡新屋郷の遺称地とされる。永禄七年(一五六四)武田信玄に従った鎌原重春が敵地で刈取った麦を籠め置いた地に「天引」があった(同年五月一七日武田信玄書状写「鎌原系図」所収)。年未詳四月二一日の武田信玄感状写(県庁蔵)によれば、当地への越後勢の乱入に際し森平源太郎の奮戦が知られる。天正一三年(一五八五)一一月三日の上杉景勝宛行状(矢沢文書)で、長根や安中一跡などとともに「あま引」は矢沢氏に宛行われている。


天引村
あまびきむら

[現在地名]園部町天引

明治初期に上天引村と下天引村が合併して成立した村。

園部川の上流天引川に沿い、上流側を上天引村、下流側を下天引村という。東は宍人ししうど村と八田はつた村、南は大河内おおかわち村と法京ほうきよう村、北は上新江かみにえ(竹井村)、西は多紀たき(現兵庫県)。村域は天引川の源流域までを含み広大で、西境には六〇〇―八〇〇メートルの高山があり、村の大部分山地である。亀山かめやま(現亀岡市)よりの篠山街道(山陰道)が村を東西に通り、天引峠を越えて多紀郡に入る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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