日本歴史地名大系 「天王寺城跡」の解説 天王寺城跡てんのうじじようあと 大阪府:大阪市天王寺区中小路町天王寺城跡[現在地名]天王寺区伶人町・逢阪一丁目織田信長が築かせた城。城跡については月江(げつこう)寺付近とする説(摂津志)があるが、四天王寺の西、勝鬘(しようまん)院と茶臼(ちやうす)山の間の上町(うえまち)台地西端に北(きた)ノ丸(まる)・中ノ丸・南ノ丸の小字が残り、この地は西が急崖で城地として最適の条件にある。江戸時代中頃とみられる石山合戦配陣図(大阪城天守閣蔵)にも、四天王寺に西接して「サクマ玄蕃サカイノ道ヲフサク」と記されている。天正四年(一五七六)三月、本願寺顕如は織田信長に反旗を翻し、石山(いしやま)本願寺(跡地は現東区)に籠って抗戦を始めた。信長は明智光秀・細川藤孝・原田直政・荒木村重らに命じて攻撃態勢を整え、天王寺口の攻め手を原田直政として城砦を構えさせた。本願寺側が木津(きづ)(現浪速区)と桜(さくら)ノ岸(きし)(現東区)に砦を築いて、木津川を通じて海上と連絡をとっているのを知った信長は、まず木津川口の占拠を命じ、同年五月三日、原田直政・筒井順慶らに攻撃させた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by