天王寺牛市(読み)てんのうじうしいち

日本歴史地名大系 「天王寺牛市」の解説

天王寺牛市
てんのうじうしいち

[現在地名]天王寺区逢阪二丁目

茶臼ちやうす山の北、魚小路の西側にあった牛市(大阪府全志)。元和二年(一六一六)や享保一〇年(一七二五)の天王寺博労中宛の判物(同書所収)には「天王寺牛町」の名もみえる。牛市の主宰者石橋家は摂河泉播四ヵ国の牛売買権を掌握した。明和七年(一七七〇)和泉日根ひね郡・南郡九ヵ村より出された口上書(新川家文書)に「天王寺村市場之儀ハ天正十二年ヨリ御書下ケ被成遣、牛市御免御座候」とあり、牛市の開設は天正一二年(一五八四)のこととする。石橋家所蔵の文書中にも、天正一二年と推定される天王寺博労中宛の小出秀政判物がある。同判物には「天王寺へ越候牛を在郷において留置うりかい候はゞ曲事之儀候、一疋にても其通に候はゞ堅可申付候、其上承引不仕候者此方へ可申出候也」とあり、この時すでに天王寺牛市の在方に対する独占的な特権が認められていたものと思われる。

天王寺牛市は畿内最大の牛市であったが、前掲明和七年の口上書によれば寛文二年(一六六二)冥加銀を上納して営業を許可されてはいたものの、その後市は一時中絶、寛保二年(一七四二)になって運上銀と引換えに再興されている。同三年、泉州南郡・泉郡村々は、石橋孫右衛門がその組下でない牛博労の商いを差止めたのに対し、自由取引の許可を出願したが、翌延享元年(一七四四)摂河泉一一郡のうち二四三ヵ村に対して、大坂町奉行より「天王寺村へ罷越候牛を外在々ニ留置売買致候義勿論、新規ニ牛市等立候儀、一切致間敷候」という申渡しがなされた(新川家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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