日本歴史地名大系 「天若村」の解説
天若村
あまわかむら
明治九年(一八七六)に
近世初頭の訴訟文書(湯浅文書)に世木庄内の村として、上世木・世木林・宮村の名がみえる。船井郡の
三村とも園部藩領。上世木村の村高は元禄一三年(一七〇〇)丹波国郷帳では一八一石余であったが、天保郷帳には二八八石余と六割近く増加。園部藩記録(「口丹波風土記」所引)は二七一・九一石とし、上組分・下組分に分ける。幕末の家数七四、人口三一七(同書)。村高に比べて戸数・人口が多いが、山川での稼ぎあるいは後述する世木林村の村高・戸数との関係から考えても世木林村への出作があったと思われる。世木林村の村高は元禄郷帳一五六石余、天保郷帳二〇二石余。幕末の家数二五、人口一一一(園部藩記録)。宮村は元禄郷帳には九三石余、天保郷帳では一一一石余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報