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太田資宗 おおた すけむね

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美術人名辞典の解説

太田資宗

浜松藩主・幕府の六人衆の一人。重宗の子。大阪の陣の功績により、従五位摂津守・御小姓組番頭と累進し、寛永10年には松平信綱等と共に六人衆となる。後奏者番となり、命を受け『寛永諸家系図伝』を編纂した。延宝8年(1680)歿、81才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

太田資宗 おおた-すけむね

1600-1680 江戸時代前期の大名。
慶長5年生まれ。太田重正の子。徳川秀忠,家光につかえ,六人衆(のちの若年寄)となる。寛永12年下野(しもつけ)(栃木県)山川藩主太田家初代。1万5600石。奏者番をつとめる。三河(愛知県)西尾藩をへて,正保(しょうほ)元年遠江(とおとうみ)(静岡県)浜松藩主太田家初代。3万5000石。「寛永諸家系図伝」を編集した。延宝8年1月22日死去。81歳。初名は康資。通称は新六郎。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

太田資宗

没年:延宝8(1680)
生年:慶長5(1600)
江戸前期の大名。通称は康資のち新六郎,官職名は摂津守のち采女正のち備中守,父は重正。徳川家康に出仕,のち徳川秀忠に付属される。寛永8(1631)年小姓組組頭,9年同番頭となり徳川家光に近侍する。10年松平信綱らと共に六人衆(のちの若年寄)となり,12年加増1万石を得て大名となる。15年島原の乱のとき九州へ下向,同年奏者番となり三河(愛知県)西尾で3万5000石を領知。翌16年長崎へ出張しポルトガル船来航禁止を伝える。のち『寛永諸家系図伝』の編纂に当たる。正保1(1644)年浜松城に移る。太田道灌6代の子孫,徳川家臣団の綺羅を飾る

(しらが康義)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

おおたすけむね【太田資宗】

1600‐80(慶長5‐延宝8)
江戸前期の譜代大名。三河国西尾城主(3万5000石)。備中守。幼時より徳川家康,秀忠,家光3代の側近に侍し,1632年(寛永9)書院番頭,小姓組番頭を経て翌33年六人衆の一人として幕政に参与し,小事を決定した。のちの若年寄の前身といわれる。41年,大名,旗本諸家の系図編集にあたっては,総奉行として全体を監し,372巻を奉呈した(《寛永諸家系図伝》)。【北島 正元

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世界大百科事典内の太田資宗の言及

【寛永諸家系図伝】より

…清和源氏・藤原氏・平氏・諸氏の4類,および医者・同朋・茶道に分け収録。1641年2月7日に太田資宗が諸家の系図を編修し差し上ぐべき旨の上意をうけ,同人が総裁,林羅山・鵞峰が編集責任者となり事業を推進,43年9月17日に両本都合372巻が献上された。献上の仮名本(続群書類従完成会より活字本刊行中)は内閣文庫に,真名本(重要文化財)は日光東照宮に所蔵されている。…

※「太田資宗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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