朝日日本歴史人物事典 「奈河晴助」の解説
奈河晴助(初代)
生年:天明2(1782)
江戸後期,上方の歌舞伎狂言作者。前名奈河春助。後名豊晴助。通称宮島屋嘉兵衛。俳名鶴樹。京都に生まれ,素人俄狂言の台本を作ることを好んだ。初代奈河篤助の門に入り京都の中芝居を勤めるが,西沢一鳳の父利兵衛の斡旋で大坂の大芝居へ進出。文化7(1810)年に道頓堀中の芝居で立作者の地位を得て,おもに2代目嵐吉三郎のために筆をふるった。筋はわかりやすいものの世界が狭く地味な作品が多かったが,吉三郎ら名優に恵まれて当たりをとった。代表作「けいせい染分総」の本読みの場で合作者金沢竜玉こと3代目中村歌右衛門と筋の喰い違いをめぐって争い差し違えようとしたという逸話が残る。名跡は2代まである。
(上野典子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報