奈河晴助(読み)ながわ はるすけ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「奈河晴助」の解説

奈河晴助(初代) ながわ-はるすけ

1782-1826 江戸時代後期の歌舞伎作者。
天明2年生まれ。初代奈河篤助(とくすけ)に入門。はじめ京都で狂言作者となり,のち大坂の大芝居にうつる。文化7年ごろから立作者(たてさくしゃ)格となった。2代嵐吉三郎の専属作者となり,時代物,世話物にすぐれた。文政9年1月29日死去。45歳。京都出身。前名は奈河春助。後名は豊(ゆたか)晴助。通称は宮島屋嘉兵衛。俳名は鶴樹。作品に「敵討義恋柵(かたきうちちかいのしがらみ)」「傾城筑紫〓(「琴」の右に「夫」)(けいせいつくしのつまごと)」など。

奈河晴助(2代) ながわ-はるすけ

?-? 江戸時代後期の歌舞伎作者。
初代奈河晴助の門人。2代豊(ゆたか)晴助をへて,嘉永(かえい)5年(1852)2代奈河晴助を襲名。作品に「絵本更科譚(えほんさらしなものがたり)」「網模様灯籠菊桐(あみもようとうろのきくきり)」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の奈河晴助の言及

【小笠原騒動物】より

…豊前小倉藩の小笠原家の御家騒動を脚色したもの。歌舞伎では奈河晴助作《濃紅葉小倉色紙(こいもみじおぐらしきし)》が1816年(文化13)に大坂浅尾徳三郎座(中の芝居)で上演されたのが最初。2世嵐吉三郎の大当りが著名。…

※「奈河晴助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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