コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

奈良原三次 ならはらさんじ

3件 の用語解説(奈良原三次の意味・用語解説を検索)

百科事典マイペディアの解説

奈良原三次【ならはらさんじ】

日本航空界の先駆者。鹿児島県出身。大学卒業後海軍に入ったが,少年時代から関心をもっていた航空に取り組み,自費で独自の飛行機を研究。1911年(明治44年)5月4日所沢飛行場で奈良原式2号を操縦,高度4m,距離60mの国産機最初の飛行機に成功した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

奈良原三次 ならはら-さんじ

1877-1944 明治-昭和時代前期の航空工学者。
明治10年生まれ。奈良原繁の子。東京帝大を卒業し,海軍にはいる。かたわら自費で飛行機を研究開発。明治44年埼玉県所沢飛行場で奈良原式2号機を操縦し,4mの高さを60mとび,国産機はじめての飛行に成功した。民間操縦士の育成にもつくす。昭和19年7月14日死去。68歳。鹿児島県出身。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版の解説

ならはらさんじ【奈良原三次】

1877‐1944(明治10‐昭和19)
日本の航空界の先駆者。鹿児島市の生れ。東京帝国大学造兵科を卒業後海軍に入ったが,従来から航空に興味をもっており,余暇に飛行機の研究に取り組んだ。1910年には奈良原式第1号機を完成,滑走だけに終わったが,11年5月5日埼玉県所沢で複葉牽引式第2号機をみずから操縦して,国産機初の飛行に成功した。続いて第3号機を製作して白戸栄之助を操縦者として養成,白戸の操縦による第4号機鳳号で全国各地を巡業飛行した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

世界大百科事典内の奈良原三次の言及

【航空】より


[日本における発達]
 日本の航空活動は欧米諸国より遅れてスタートし,1910年,徳川好敏(1884‐1963),日野熊蔵(1878‐1946)が,それぞれフランスとドイツから輸入した飛行機で初飛行したのに始まる。一方では,同年山田猪三郎製作の飛行船が初飛行し,11年奈良原三次製作の飛行機が初飛行するなどの活躍もあったが,その技術水準は欧米に及ばず,結局は先進国からの技術導入,ライセンス生産によって,日本の航空工業は始まった。このような状態を続けている間にしだいに独自の技術が育成され,35年ころには陸海軍の各種の軍用機で,欧米の水準に劣らぬ性能をもち,しかも操縦性が優れているなど,日本独特の長所をもった国産機が次々に出現した。…

※「奈良原三次」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

奈良原三次の関連キーワード上田耕甫市川翠扇(2代)印東昌綱江草重忠神戸正雄島定治郎鈴木英雄林仙之松原三郎山本信哉

今日のキーワード

平野美宇

卓球選手。2000年4月14日、静岡県生まれ、山梨県育ち。3歳で卓球を開始。07年に小学1年生で全日本選手権大会バンビの部優勝、09年に小学2年生で同大会ジュニアの部初出場を果たし、注目を集めた。13...

続きを読む

コトバンク for iPhone