奈良原三次(読み)ならはらさんじ

改訂新版 世界大百科事典 「奈良原三次」の意味・わかりやすい解説

奈良原三次 (ならはらさんじ)
生没年:1877-1944(明治10-昭和19)

日本の航空界の先駆者。鹿児島市の生れ。東京帝国大学造兵科を卒業後海軍に入ったが,従来から航空に興味をもっており,余暇飛行機研究に取り組んだ。1910年には奈良原式第1号機を完成,滑走だけに終わったが,11年5月5日埼玉県所沢で複葉牽引式第2号機をみずから操縦して,国産機初の飛行に成功した。続いて第3号機を製作して白戸栄之助を操縦者として養成,白戸の操縦による第4号機鳳号で全国各地を巡業飛行した。また彼は民間操縦士の育成にも貢献したが,後には航空界から身を引いた。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「奈良原三次」の解説

奈良原三次 ならはら-さんじ

1877-1944 明治-昭和時代前期の航空工学者。
明治10年生まれ。奈良原繁の子。東京帝大を卒業し,海軍にはいる。かたわら自費で飛行機を研究開発。明治44年埼玉県所沢飛行場で奈良原式2号機を操縦し,4mの高さを60mとび,国産機はじめての飛行に成功した。民間操縦士の育成にもつくす。昭和19年7月14日死去。68歳。鹿児島県出身。

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百科事典マイペディア 「奈良原三次」の意味・わかりやすい解説

奈良原三次【ならはらさんじ】

日本航空界の先駆者。鹿児島県出身。大学卒業後海軍に入ったが,少年時代から関心をもっていた航空に取り組み,自費で独自の飛行機を研究。1911年(明治44年)5月4日所沢飛行場で奈良原式2号を操縦,高度4m,距離60mの国産機最初の飛行機に成功した。のちに民間操縦士の養成にも尽力男爵

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世界大百科事典(旧版)内の奈良原三次の言及

【航空】より


[日本における発達]
 日本の航空活動は欧米諸国より遅れてスタートし,1910年,徳川好敏(1884‐1963),日野熊蔵(1878‐1946)が,それぞれフランスとドイツから輸入した飛行機で初飛行したのに始まる。一方では,同年山田猪三郎製作の飛行船が初飛行し,11年奈良原三次製作の飛行機が初飛行するなどの活躍もあったが,その技術水準は欧米に及ばず,結局は先進国からの技術導入,ライセンス生産によって,日本の航空工業は始まった。このような状態を続けている間にしだいに独自の技術が育成され,35年ころには陸海軍の各種の軍用機で,欧米の水準に劣らぬ性能をもち,しかも操縦性が優れているなど,日本独特の長所をもった国産機が次々に出現した。…

※「奈良原三次」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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