奈良物町
ならものちよう
東西に通る四条通(旧四条大路)を挟む両側町で、町の中央を南北に御幸町通が通る。
平安京の条坊では町の北側が左京四条四坊三保一三町の南、町の南側は左京五条四坊四保一六町の北側にあたり、平安中期以降は四条京極大路の西の地。九条兼実の日記「玉葉」寿永三年(一一八四)四月二九日条に、「今夜、四条京極辺小屋炎上」とあり、祇園社参詣への道筋でもあった当町辺りに家並のあったことが知られる。
奈良物町
ならものちよう
南北に堀川通が通る。
平安京の条坊では左京一条二坊一保八町にあたり、官衙町の「内豎町」の地(拾芥抄)。
寛永一四年(一六三七)洛中絵図には「奈良物丁」、寛永一八年以前平安城町並図に「松や丁」、延宝六年(一六七八)刊「京雀跡追」に「なら物や丁」、宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」には「奈良物町」と記される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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