コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

奥平昌鹿 おくだいら まさか

3件 の用語解説(奥平昌鹿の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

奥平昌鹿 おくだいら-まさか

1744-1780 江戸時代中期の大名。
延享元年7月15日生まれ。奥平昌敦(まさあつ)の長男。宝暦8年豊前(ぶぜん)中津藩(大分県)藩主奥平家3代となる。国学を賀茂真淵にまなび,和歌をよくした。前野良沢(りょうたく)を保護して蘭学研究をたすけ,儒者藤田敬所を採用して藩政改革につとめた。安永9年7月24日死去。37歳。初名は昌邦。著作に「久受蔓(くずかずら)」など。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

奥平昌鹿

没年:安永9.7.24(1780.8.24)
生年:延享1.7.15(1744.8.22)
江戸中期の豊前国中津藩(大分県)藩主。幼名熊太郎,初名昌邦。丹後守,大膳大夫従五位下。奥平昌敦の長男として,江戸に生まれる。母は牧野備後守貞通の娘。宝暦8(1758)年遺領を継ぐ。賀茂真淵に国学を学び,文学的才能にめぐまれ,和歌に秀でた。著作に,『六十賀後宴和歌』(1774),『久受蔓』(1777),『屠蘇考』(不詳)が知られる。前野良沢を保護するなど蘭学にも理解を示し,儒者藤田敬所を採用して善政をしいた。備前の池田光政,薩摩の島津重豪らと共に,名君として誉れが高いが,惜しくも36歳の若さで没。

(福田千鶴)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

おくだいらまさか【奥平昌鹿】

1744‐80(延享1‐安永9)
江戸後期の譜代大名,豊前中津藩主,国学者。昌敦の嫡男。母は牧野貞通の娘。幼名熊太郎。昌邦とも名のる。1751年(宝暦1)中津10万石を継ぐ。賀茂真淵に国学を学んで,藩政にも力を入れ,備前の池田治政,薩摩の島津重豪とならぶ名君と称された。【所 理喜夫】

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

奥平昌鹿の関連キーワード岡本真阪奥平昌成奥平昌暢権田市右衛門土居震発富永沌翁原田東岳藤田敬所前野良庵山口半七

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone