日本歴史地名大系 「妙敬寺」の解説 妙敬寺みようけいじ 富山県:西礪波郡福光町広瀬舘村妙敬寺[現在地名]福光町舘霊巌山と号し、真宗大谷派。本尊は阿弥陀如来。井波瑞泉(いなみずいせん)寺五世賢心の弟教宗を開基とする(大谷一流諸家分脈系図)。教宗は立野あるいは宮内卿と称し、礪波郡北野(きたの)村(現城端町)に住して永禄八年(一五六五)に七六歳で没した(日野一流系図)。宮内卿は天文一四年(一五四五)八月二四日・九月一三日に石山本願寺で朝食に召されている(私心記)。二世勝宗は教宗嫡子で民部卿と称した。同一二年一月二六日に石山本願寺へ上り、二月二六日は夕食に召されている(同書)。三世専宗は勝宗嫡子で妙敬寺と号した。室は井波瑞泉寺六世証心女禰々である。四世教誓は専宗実子で、のちに玄良と改めた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報