妙義寺(読み)みようぎじ

日本歴史地名大系 「妙義寺」の解説

妙義寺
みようぎじ

[現在地名]益田市七尾町

七尾ななお城跡の麓にあり、万歳山と号し、曹洞宗本尊釈迦如来。文永年間(一二六四―七五)大義女により臨済宗寺院として開かれたと伝え、一四世紀末―一五世紀初めに益田兼見の孫秀兼(法名周兼)が上野国の直庵宗観を招いて再建、曹洞宗に改め寺領を寄進して自らの菩提寺となし、以後石見国第一の曹洞宗の古刹として発展したといわれる。史料のうえに初めて確認できるのは、益田兼理によって作成された応永三〇年(一四二三)一一月一三日の妙義禅庵寄進田畠并名田以下坪付注文(妙義寺文書)で、益田本郷長野ながの庄内虫追むそう美濃地の新白上みのじのしんしらかみに六町余の寺領が分布している。益田氏による妙義寺への帰依は、とくに藤兼の時代に盛んとなったようで、藤兼は再三にわたって寺領を寄進(元亀二年一一月六日「益田藤兼寄進状」・天正一二年一月二一日「益田全鼎・同元祥連署寄進状」・同年一〇月二日「益田全鼎・同元祥連署寄進状」・同日「益田藤兼袖判しんちの局寄進状」同文書など)する一方、藤兼自身当寺に葬られた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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