改訂新版 世界大百科事典 「姜沆」の意味・わかりやすい解説
姜沆 (きょうこう)
Kang Hang
生没年:1567-1618
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…朝鮮,李朝の文臣姜沆(きようこう)が,日本の内情を秘密裏に本国政府に報告した文集。1598年豊臣秀吉の朝鮮出兵時に捕虜となり,京都伏見に幽閉されていた彼は,京都相国寺の藤原惺窩との対話や,京都方広寺の耳塚のことなどを記録にとどめ,当時の日本を知るうえで興味ある内容が多い。…
…1593年(文禄2)徳川家康に《貞観政要》を講じ,96年(慶長1)儒学の師を求めて明国への渡航を企てたが失敗。その2年後,慶長の役の捕虜姜沆(きようこう)(朝鮮の朱子学者)と出会い,姜沆から学問的影響を受け,やがて還俗して儒者になった。99年大名赤松広通と姜沆の援助を得て,初めて宋儒の説に従って四書五経に訓点を施したが,広通の死により和訓本は出版されなかった。…
※「姜沆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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