姜沆(読み)きょうこう(その他表記)Kang Hang

改訂新版 世界大百科事典 「姜沆」の意味・わかりやすい解説

姜沆 (きょうこう)
Kang Hang
生没年:1567-1618

朝鮮,李朝中期の文臣。字は太初,号は睡隠。晋州の人。1593年に科挙の文科及第。朝鮮屈指の大儒李退渓,李栗谷らの学統をつぐ。97年豊臣秀吉の再出兵(慶長の役)のとき,藤堂高虎水軍の捕虜となる。京都伏見で幽閉生活を送り,赤松広通の援護のもとで相国寺の禅僧藤原惺窩と交友し,朝鮮儒学の成果や孔子祭典を伝える。姜沆は1600年に帰国したが,惺窩は後,儒者として仏教とたもとを分かつなど,日本の儒学の展開に大きな影響を与えた。姜沆には日本の内情を伝えた《看羊録》を含む《睡隠集》がある。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「姜沆」の解説

姜沆 きょう-こう

1567-1618 朝鮮王朝官僚
明宗22年5月17日生まれ。1593年科挙に合格。豊臣秀吉の第2次朝鮮出兵(慶長の役)で捕虜となり,京都に幽閉される。播磨(はりま)(兵庫県)竜野城主赤松広通の保護下に藤原惺窩(せいか)とまじわり,朱子学をつたえた。慶長5年(1600)釈放され,帰国。主著「睡隠集」の中に日本の内情や自身の捕虜生活をしるした「看羊録」がおさめられている。光海君10年5月6日死去。52歳。号は睡隠。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の姜沆の言及

【看羊録】より

…朝鮮,李朝の文臣姜沆(きようこう)が,日本の内情を秘密裏に本国政府に報告した文集。1598年豊臣秀吉の朝鮮出兵時に捕虜となり,京都伏見に幽閉されていた彼は,京都相国寺の藤原惺窩との対話や,京都方広寺の耳塚のことなどを記録にとどめ,当時の日本を知るうえで興味ある内容が多い。…

【藤原惺窩】より

…1593年(文禄2)徳川家康に《貞観政要》を講じ,96年(慶長1)儒学の師を求めて明国への渡航を企てたが失敗。その2年後,慶長の役の捕虜姜沆(きようこう)(朝鮮の朱子学者)と出会い,姜沆から学問的影響を受け,やがて還俗して儒者になった。99年大名赤松広通と姜沆の援助を得て,初めて宋儒の説に従って四書五経に訓点を施したが,広通の死により和訓本は出版されなかった。…

※「姜沆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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